子供の自由と身勝手の境目

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自由と身勝手

自由な子供ということが大々的に取り上げられる世の中でありながらも
学級崩壊が懸念されるこの時代。
なんとも不思議なところですね。

 

 



自由にさせれば学級が崩壊し、規則を与えれば自由を尊重しないといけないといわれる

一体全体何が自由で何がダメなのか


ある時ネットの記事で見つけたものがある。


国語の授業で『雨』の字の練習の時
ある子は算数のドリルを取り出し計算問題をやりだす。
ある子は絵を書き出す。
ある子は雨を書き続ける
ある子は『雨』だけではなく、そこに『雨が降った』
『雨はきらい』『雨はぬれる』など文章を作って感じの練習を始めた。

 

 

 

ここに自由と身勝手の違いを見た気がする。

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算数のドリルをやりだしたり、絵を描き出すのは自由ではない

これは完全なる身勝手な行動だ。

この身勝手が必ずしも悪というつもりはない。
ただ自由という括りにはしたくない。

 

 

かたや『雨』を練習しつつも文章として書く柔軟さこそが自由な発想と思った。

 

雨を書き続けるのが間違いではない、雨の漢字を練習を前提として遊びを取り入れる発想がすごく自由と感じる。

 

つまり自由と身勝手の境目は

秩序ということになりそうだ。



秩序を保ち自由な行動ができることこそが本当の自由と感じる。

 



やらないといけない課題を目の前にしつつ、そこに向かい合えないのは別の問題がある。
それがダメとかではなく、子供からの一つのサインとして受け取りたい。

 

 

さくらさくらんぼ保育実践保育園

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