子供の自主練。自主練も結局は意欲の問題なんだなと理解した

育児
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自主練で見える意欲の度合い

 

長男が野球を始めて2年くらいたちます。
4年生で高学年になりそれなりに身体もできあがり、
ピッチングも様になっていました。

もう僕には打てない感じだな。ゲラゲラゲラ


そんな息子はうまくなりたいと思うことは常々あり、
以前はよく家で練習に付き合わされていました。

キャッチボールは大好きで
いつもキャッチボールや守備練習をしていたのが懐かしいです。



でも、素振りなどはなかなか取り組みませんでした。
色々と取り組みやすいようにやってみましたが、
結局はそれほど続かず。

今でも素振りほぼ0回の日々です。

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非日常

自主トレーニング
といわれる自主練は普段の生活からちょっとはみ出た世界

やってもやらなくても問題ないし、
今の自分で満足できるならそれほど必要性も感じないかもしれません。

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つまり自主練をするとなるとそれは非日常になるわけです。
日常の生活とはちょっとズレたところに存在しており、
その場所に対して踏み込むかどうかは本人次第。

そう考えると、非日常に対して踏み込むということは、
子供自身の意欲が関わっているのだろうとおもうのです

この意欲が減退していたり
日常から一歩外れたところに踏み込む勇気がないと
自主練という非日常に存在する場所にはいくことができない。

だから、小手先でアレコレと言ったり仕組みを作ったところで、
行動しようとする動機づけを外側からしているだけで
本人の内側から意欲を湧き出させているものではない
ということを理解しました。





自主練は必須ではない。

ただ子供がそういった行動に踏み込むかどうかを見極めるだけでも、現時点で意欲が出ているか!?の見極めになるのだろうと感じました。
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もし意欲的なものが感じられる行動がでていないなら、
子供に対する接し方を見直す必要性があると感じます。


・子供の注意ばかりしていないか
・子供を見ずに自分のことばかりしていないか
・子供に関心を示せているか
・子供に助言ばかりしているのではないか

(助言するということは子供に100点ではないというメッセージをあたえている。時と場合もある)


こういったことを考えると僕の言動は注意ばかりしていることがわかりました。
できて当たり前と思い、子供自身の個性を無視して自分の物差しで判断していたんだと感じます。

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