育児って色々な見方があります。
どれもこれも正解不正解がない中、躾について考えていきます
子どもたちと過ごすと色々な気付きをさせてもらえます
その中で最近考えるのが
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躾
躾というととても方ぐるしく感じてしまいますが、
もう少し大きな目で見たいなとおもっており、
躾は人としての生き方くらいに考えています。
もっと重苦しい感じになった気がしますね
ゲラゲラゲラ
人としての行為を年齢に沿って伝えていくという感じで行いたいなと思ってるんです。
生まれてきた子供が好き勝手に育つのであれば、
それは猿や豚牛などの家畜になってしまいます。
猿が人間になる時間を社会が待ってくれませんので、
社会人になるころには人として巣立ちをしてもらう必要が親にはあると考えています。
つまり人としてというところが要なのですが、
何でもかんでも躾という形で納めたくもないんです。
トイレなども勝手に育つようにすればいいと考えると、教える必要もないところですが
やはりこれも家畜ではない以上、人としてトイレの使い方を教える必要があったり、
就学前に文字や数字が必要なのかといえば、
そこは就学してからで十分なのだろうと考えたりしています。
躾という言葉がとても個人情報みたいに勘違いされて多用されているところがありますが、
本来、身を美しくという字の如し、それは年齢に合わせて展開をしていくのが当然なのだろうと感じるのです。
食事中は食事をすることが当然であり、それは粘土でもなくボールでもない、
食べるものとして伝えるのは親としての義務かなと。
もちろん立ち歩きや立ち食いなども年齢に沿って
しっかりと伝えていく必要を感じます。
これにより子供たちが○○しているときは
○○するときなのだとしっかりと認識し、
○○している中でも自分たちで楽しみや
発見を見つけていくということを願いたいものです。
それは食事でいえば三枚におろした魚が何の魚か⁉
みそ汁の味噌が変わったなとか
いつも食材の色がいろいろあってサラダには緑と黄色と赤が必ずあるな!とか
そういった日常からの発見というのを大事にしたいなとおもったりしています。
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