好き嫌い
太ったことをコロナ太りと言ってますが、誰も信じてくれません。
どーもー北国です
ブヒィィィィィ🐷
毎日ご飯を食べれる幸せというのは、なかなか感じ取れるものではありませんね。僕は極貧乏生活のときに1日2食のみや1食のみで生活してた時期もあり、その時にお腹いっぱいになる幸せを感じたことがあります。
子どもたちには、満足するだけお腹いっぱい食べてほしい。
満腹感からの満足感を実感してほしいなんて思います。
本当は腹八分が体に良いというのもありますが・・・
小さいうちに腹八分が身体に良いとか仙人みたいな悟りを開く必要性を感じません。
お腹が空いたらいっぱい食べてぐっすり寝て、起きたら遊んでを繰り返し次のステップに行けるように満足感を満たしておきたいですね。
この満足感が子どもたちの足場を固めてくれるような気もします。
長男の料理
食
そんな子どもたちの食というのは本当に色々あって、食べ食べ期になり沢山食べたり、食べない時期に入ったり。
親としては何をどうしようかなんて考えたりもします。
実際に我が家も三人子どもたちがいて、それぞれ食欲は時期などによる違いだったりがよく見えます。
そして、この食に関することで一つ気づいたことがあります。
気づき
好き嫌いが目立つ
基本的に甘やかし的な環境であったり、子ども自身が自分の力を過小評価していることの影響が大きいように感じます。
食べたくないから食べないは、やりたくないからやらないとの結びつきが強く見えているところが我が家にはありました。
我が家でも次男の食欲が細そくなったようですが、それだけならまだしも卒園してから好き嫌いが増えていることに気づきました。
以前まではそれほど気にならずに食べていたものが、いつの間にやら食べたくないとか嫌いだとかのセリフがたくさん出てくるように。
次男の調理
あれれれれれれ??
いつからか??調理法か?産地なのか?
色々と考えていきますが、答えらしいものは見つからず試行錯誤の繰り返しです。
過去と現在
日常生活を振り返ってみると、今まで年長として保育園の中では最年長であったものが、小学生になり1年生になったことで最年少になりました。
親として今まで年長の一人として扱っていたものが、最年少の一年生としての扱いになり、たくさんの甘えの中のワガママを受け入れていたと感じています。
・我儘が駄目ではない
このワガママというのは先程にも記述した、嫌なことはやらない、やりたくないことはやらない。この部分に結びつくワガママであり,それ故に食べたくないものは食べないという展開につながっているようです。
嫌なことはしなくてよい!
こういった言葉もネットや書籍でみることもありますが、これらは非常に過大表現されているところがあり、
実際に嫌なことをする意味とは、
嫌というのが生理的に嫌なことを強要するとは別であることが前提です。
ここでいう嫌なこととは課題的な要素になります。
例えば片付けや自分で準備するなどの意味に対して嫌だからやらない!ではなく、こういったことにも向き合うことを生活を通して伝えていかなければいけません。
それは、子どもたち自身に目の前の課題を自分たちの力で十分に乗り越えることが出来ることを実感してもらうためなんです。
この実感は言葉で伝えるものでも絵で伝えるものでもありません。
あくまでも実体験を通して一人ひとりが肌で感じていくことが重要になります。
そのため小さな課題である日常生活の中で、課題を乗り越える力を感じてもらえないのは、長い人生でこれからやってくる課題に対して向き合う力が細ってしまうのです。
そうなると課題から目をそらしたり向き合えない状態が日常になってきます。
その時に親として助言をし乗り越えさせようと「〇〇だから!」「△△だよ」「□□になるから」とか様々な声がけをしても実体験ではないため身体に染み込んでいません。
浸透していないことを内側から沸き立たせるには無理があります。
我々大人として子どもたちの導き手としては、一人ひとりに課題に向き合えるだけの力があることを知ってもらうことが重要になってきます。
課題と向き合うために
日常の生活の中にメリハリをつけるだけで実際に子どもたちの行動はびっくりするほど変わります。
それは成長段階が未熟である子供であればあるほど、余計な堀固まった思考がない分ハッキリと目に見えてきます。
このメリハリというのは、生活リズムの部分であり朝起きる時間、寝る時間のリズムはもとより、今日は外で遊ぶ!と決まっている日に子供の気分でそれが中止になったり変更になったりするあやふやなものではなく、可能であれば計画通りに実行することが生活リズムから生み出されるメリハリにつながります。
実はこの決まったことを決まったとおりに行うことが、精神的にみても非常に安定感を与えてくれます。
子ども自身がこの決まったことの中で、自分たちが全力で動ける範囲を認識できることが非常に大事で、どこまでがOKでどこまでがNGなのか、この線引があやふやなほど子どもたちはメリハリを失ってしまいます。
逆にこの動ける範囲が狭いと行動に枠を感じさせて萎縮した行動を見せてきます。
子供の思う通りという気持ちから何でもかんでもOKにすることが良いように思えるところもありますが、実際に発達という観点から見るとメリハリのある生活が何よりも子どもたちを生き生きとさせ、狭さを感じさせない枠と思われる生活ルールは、子どもたち自身のフィールドを認識させる意味で非常に効果的なんです。
次男の幼少時代
我が家も次男が幼少時代にリズムのときに席から全く動かない時がありました。気に入らないリズム運動だから出てこないくらいに思っていたのですが、保育士(Fわら)との話から生活リズムにおけるメリハリなどの重要性を知り、改めて生活のなかでメリハリを付けるようにしていくと、どんなリズムでも楽しそうに参加をするようになったんです。
ここで大事なのは
嫌いなものを好きになるように!ではありません。
五感に訴えかけられたものに対して、何かしらの反応を見せないというのは何があるのか!?ここに目を向けていきたいところなんです。
リズムを目の前で行っていた時に、みんなと違う踊りをするとか、ただかけっこのように競争を意識したり動きを反対周りに動くなどは、まったくもってOKです
これは目の前のことに対しての自分の意志による反応なので、違う動きをみせようが反対のことをしてようが、反応を見せています。
この反応に対してあとはこの音楽には〇〇の動きをするんだよ!という導きをするだけになります。ところが反応が薄い部分にはリズムのやり方とかではなく感性に対しての対応をしていくことが重要になってきます。
この感性の感度を高めていくことが、一つ一つの物事に対する感情を伴った発達を豊かにしてくれてきます。
可愛いがために何でもかんでもOKにしていた自分が次男のワガママを生み出し、食の好き嫌いという小さな課題すら乗り越えを放棄する様子を見て改めて反省したところです。
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