我が家の子供達が通っていたのは
斎藤公子先生が作ったさくらさくらんぼ保育を理念に掲げている
小樽の保育園
もう卒園したのですが、それはそれは色々と濃い保育園児の親時代を過ごさせていただきました。
ここの保育園で話題になることはたくさんあるのですが、
今回は
子供の喧嘩について
子供の喧嘩を親としては見守るというよくある話です。
ただこの見守るが実際に親たちが口出しをせずに見守ることになるので、一方的に強い子が勝利を収め続けることが多く、やられる子の親としてはその理不尽にご立腹になることが多々あります。
まして子供同士の喧嘩なので理論的な話はなく、一方的に強い子が勝つ構図があったりして、そんなことを見せられると、
それはそれは腸煮えくり返るような感じです。
ここで誤解されるのが、腕力で強い子が正しい!とか
乱暴な子が推奨される保育園だ!とか
そんな話ではありません。
第一の前提として
喧嘩 自体を勝敗で分けていることが一つの問題点になります。
子供たちの喧嘩は自己の主張のぶつかり合いで、これから大きくなっていくための人間同士の距離感を肌で感じる大切な時期なのです。
この距離感を肌で感じる行動であるため、基本的には勝ち負けは存在しません。
そうなると、自分の主張を押し通した子が正しい子ってことになる!そんな事も聞いたりします。
これも結局はどっちが正しくてどっちかがダメという二極化した考えではなく、
自分の気持ちを言えなかった子には、これからの接し方で言えない原因を取り払っていこう!ということ
そして、自己主張が激しく、時には腕力として強引に自分の思い通りにしようとする子には・・・
何もせず、自己主張できて凄いねぇと褒めまくる・・・
そんなことは一切しません。
乱暴する子であれば、乱暴について話し、強引に自分思い通りに押し通す子であれば、もっと周りのお友達の様子を観察できるように導きます。
これはやり方としては様々なやり方があると思いますが、斎藤公子先生の本の中で意地悪の子に対して、直接叱るわけではなく、クラスの子をみんな集めて意地悪について話し、どういった行動が正しいのかを全体の子に語りかける話がありました。
言えない子、乱暴な子、どっちに対して一方的に話してしまうと
責めれるような思いになったり、否定されるようなこととして受け止められることを避けるためでもあるようです。
あくまでも一方の子(ここでは嫌だと言えない子)だけに何かを求めているわけではありません。
言えない子には言えるように!とは、
言い出したいが我慢をする原因は何か!?を家庭環境から探るというのが本質になります。
これは乱暴な子とされる方でも同じであり、自己主張だからそのまま放置でもありません。
人とのコミュニケーションがそういった強引、乱暴などの形でしか表現できないのは何が原因なのか!?
そういった観点で接していくことが非常に大事だったんだなと感じました。
我が家の長男も言えない子でした。
それが喧嘩や園生活での話を聞いて指摘をされたときに
言えない子の何が悪いんだ!!
ちゃんと言えない弱い子だっているんだ!守ってあげれよ!
代わりに伝えれよ乱暴な子に!!!
仕事しろ!
こんな悪態をついていましたが、どうやらこれは僕の一方的な勘違いだったようです。
言えない子を言えるようにというものではなく、
言えない状態を作ったものは何か?
つまり生まれつき言えないわけではない。
人は価値観によって行動が変化するのだから(あがり症を後に克服することもある)
我慢の必要のないところで我慢をしていた子が、我慢をしなくて良いとわかったときの世界観の広がり。
そういったことから自由を子どもに感じてほしいものです。
実際にこれらを踏まえるようになった我が家の長男は他者がみてもわかるくらいの変化を見せてくれました。
それは以前にもブログに書きましたが、長男は喧嘩してもいつも泣かされっぱなし、終いにはその子を見ると怯えるような状態になってしまったんです。
そこで保育士に色々と相談をしたら・・・(過去の記事)
その後の二人の関係は、これまたブログで過去に書いています
親として子供の導きとしてついつい色々とアレやコレやと手出し口出しをしてしまいます。
実際は子どもにとって一番の良い対応はじっと親が待つことなのかもしれませんね。
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