勉強という課題
これが本当に難しく感じる今日この頃
我が家でも子供たちに勉強の習慣をつけるのが大変です。
勉強は自分の意思で、自発的にやることが大事と感じ
行動は敢えて促さず待っていました。
そしたら
待ちぼうけ・・・
何時まで経ってもやらず
結局やらない習慣が完成した。それに対して勉学の内容を理解していれば問題も感じないのですが、期待通りに内容も理解が薄い。
保育士などに相談すると勉強は最初の習慣が大事のようです。
習慣をつけ内容の理解度合いは別としてじっくりと歩むことが必要と感じたところ
もう遅いのか
そんなことは無く人はいつでも再出発ややり直し盛り返しができるもの
我が家でも勉強の習慣や理解度のアップに向けて試行錯誤を実践中
しかしながら自分が勉強する習慣もなく、
それを我が子に習慣づけようとすることが至難の業です。
小学生になり中学生になってくると遊べるものもどんどん増え
目を奪われることがたくさんあります。
それを中断して意識を勉強に向けるのは習慣化されていないと本当に大変。
習慣になっていても簡単に誘惑が勝ってしまうくらいです。
子供と話し合い
長男とも話をし勉強を先にしてゲームやネットはその後にしてほしいことを伝えます。
長男の言い分は21時以降ゲーム禁止にしている我が家では、勉強を先にするとスイッチなどが利用できない。それは嫌だ。
ごもっともですね。
一日の楽しみとしているものが利用できない辛さ、最初からないのであれば何も感じませんが、あるものが利用できない歯がゆさ
そして、一日の勉強時間が決定されれば、どんなに頑張っても21時に間に合わない
そうなれば希望は見いだせなくなります。
21時以降にゲームをして翌日に起きれない、授業中に眠気に襲われる、身体的負担などを考えると21時以降のゲーム利用を考えてしまうのも我が家としては心配事としてあるのです。
もう一度根本的なところを考える
そもそも何故勉強が必要なのか
何故やらなければいけないのか
ここが一番大事なところにも感じます。
仮に勉強の必要ない仕事であったり
テストの点数が低くても頭の良い学校に行くつもりもない。
現状に満足している。
ちょっと考えただけでも勉強しない理由は沢山ある。
勉強する理由
では反対に勉強する理由を僕なりの解釈として
勉強することで一つのものの見方に幅をもたせたい
それはペットボトル一つ見ても
国語「おーいお茶(商品名)」
算数「六角柱の形と三角錐が合わさったような形」
理科「520mlの容器に500ml入った状態」
社会「原料は静岡の茶葉使用、容器は中国産」
英語「PET bottles」
などなどこれだけ表現も変わることができることで、視野を変えると見え方も変わることを知ってほしい、
将来自分の夢に向かい進むとき、面倒なことやりたくないことも沢山ある、でもその先には自分の夢があること
必ずやり続けたことは何らかの形として受け取ることになる、それが今はテストで点数が変わらなくても知ったことが後々利用することがあったりそれが人の役に立つことがあったり、覚えたやり方ひとつでも人の役に立つことが沢山ある。
こういった感じです。
そう考えるとテストの点数はどうでもいいかなって結論ですね。
じゃあ何が問題なのか
勉強という課題に対して背を向けてしまうこと。
そうなんです。
課題という形で観た時に背を向けてしまうことは避けたい。
越えられない壁と感じたり、俺には無理だと思ったり適わないと思ったら
何時でも逃げていい
逃げるが勝ち
でも、これだけは知ってほしい
ゴール、夢、目標、こういったものを諦める必要はない
逃げても諦める必要はないんです。
しつこく追い求めてほしい、
でも考えてほしい、
同じ手法は通用しない
だからこそ
あの手、この手とやり方を工夫したり教わったり買えたりして挑んでほしい
これが「逃げる」から手を変えて「挑む」に変わる瞬間だから。
遊びの時間
そう考えると多少ゲームで夜が遅くなろうが、授業中眠い日があろうが大目に見る方がメリットは大きく感じたりもします。
授業中に眠くなり寝てしまうのは授業を行う先生に対する礼儀作法にも反するので推奨はしません。ただそういう日もあるかもしれないと思うところ。
我が家の場合、勉強と遊びのバランスを完璧に設定するのではなくお互いの大事なところを尊重し合う、今日は遊び尊重、今日は勉強という感覚くらいがちょうどよいかもしれない。
そして子供たちが毎日変化する将来の夢を聞き、それに対して必要なことを伝えるが、それをやるかやらないか本人次第。
我々大人に大事なのは、やらせることや結果を残すことではなく、
夢と決めたことに対して進むことをやめない様にする意欲(エンジン)が全開で動けるようなガソリン(声掛け、環境づくり)が大事なのだろうと感じた今日この頃
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