言ってすぐやってくれるなら親としても嬉しいものはないのですが、大概は言ってもやらない、
叱ってもやらない、
言わなくてもやらない。
こんなことが積み重なり怒り爆発なんてことは日常茶飯事です。
では、なぜ言ってもやらないのか!?なぜ伝わることができないのか?
小さいときは何を言っても親の言うとおりに喜んで動いていた子どもたち、自我の成長とともに全く大人の言葉は届かなくなってきます。
実はそこには、大人と子の関係性が非常に重要であることがわかりました。
子どもが聞き流す
僕は子供に何かを伝える時に、色々な伝え方を考えます。
例えを使って話すことが大概ですが、そこで伝わる時と聞き流しているようなときがある。
話の内容が悪いのかと思ったりするときもありますが、そうではないようです。
子供たちが聞き流すようなそぶりを見せてくるときに、自分の心を守る行為であったり他の気になることがあったりします。
他の気になることは遊びたい気持ちなどもありますが、一対一で話をしているときに話をしている人の話が耳に入ってこないのは、何か引っかかることがある時。
それが嘘だったり言えないことであったり自分に対して気になっていることがあるようです。
今回は自分の心を守るという観点での話。
間違いを指摘されているがその間違いに対してなかなか反省の様子もなく、聞き流す。
これは年齢関係なしに現れることがありましたが、子供たちの中で否定されたことを受け止めるだけの肯定が存在しないときに否定を受け止めれず自己防衛として聞き流すようなそぶりの時がありました。
ちゃんと聞いて!と思って何度も伝えたりもしますが受け止めるだけの状態ではないことから、何を言っても焼け石に水の状態。
受け止めれないのですからしょうがないですね。
話すだけ無駄なのか⁉
無駄ではなく伝えていくことは非常に大事です。
ただそれによる効果に即効性を期待することはできません。ちゃんと聞き入れてもらうためにはそれなりの事前の準備、それまでの生活が大事になってきます。
つまり、その子の自己肯定感を改めて見直さないといけないところということです。
日常的に親として何気ない声掛けに子供の行動を否定するような言葉が多いと、親が意識する以上に子供は自己肯定感を失っていきます。それに気が付かず受け入れる器ができていないところに注意をしても器がない以上は受け取ることはできません。
器以上の大きなものを受け取るとなると結果的には器が壊れてしまいます。
そのため我々親としての対応は、当然ダメなことはいけません!と伝えることは大事なのですが、その行為とその子供である人格を一緒に否定しない様に、あくまでも注意は行為だけに絞り伝えていく必要があります。
我が家でも思春期真っただ中の長男は前向きに話を聞くときと、聞き流す行為のときがあからさまにわかります。中学生となるとちゃんと話を聞く意味はわかっていますが、心はそこに反している状態のようです。
怒りを伝えて気持ちを感じさせることもできるかもしれませんが、怒りから感じるのは恐怖であることが多く、結局は恐怖に従うだけの形になってしまっては意味がありません。
出来ることなら自発的に聞く体制を自分で持っていけるように日常の接し方から考えていかねばならなことと感じてます。
僕自身もそれほど育児を深く考えたこともなく、ただ可愛い可愛いをしていることで愛情を注ぎそれが育児と思っていました。
しかし、子供自身が社会に出ていくことを前提にしたときに、その子自身が自分でやり切ることの重要さを体感させることを念頭に置き育児を考えたときに深く考えさせられることがあります。
長男は本当に全て僕がやってあげるようにしていたこともあり、甘えっ子で札幌で過ごしていました。
それが今の小樽に来て様々な体験を通して、卒園し学校に通うことで僕として見えていなかったことに気が付くことが沢山あり、改めて育児を考えるようになり現在に至ります。
今の子供の姿がダメばかりではなく、今の子供がさらに伸びしろを感じさせていることを踏まえて今後も接していきたいところですね。
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