スタートが同じだから意味がある
次男が卒園して2か月
あっという間ですね。
去年は登山などもあった時期ですが、そんな登山ですが登山にも色々な意味があったようです。
スタートはみんな一緒。
当たり前の光景ですが、これから登るぞってときは一緒です。
みんなで勇んで登山道入り口に入っていきます。
最初はみんなハイテンション
色々と話したりじゃれあったりと楽しいものです。
それが体力がだんだんと削られてくると
口数が減ります。
動きも鈍くなりじゃれ合いも見かけなくなる。
そして、
登るスピードがバラバラになるので、ゴールがバラバラになるんです。
これは感動がみんなで共有できないと勿体ない
一緒にゴールしなければ・・・
なんて僕は以前カメラマンとして同行させていただいたときに思いました。
ですが、そんな心配は全く必要なかった。
感動は一人ひとりしっかりと味わっており、
一人ひとり味わったことを今度はみんなで共有し合うことができます。
そして登り始めた条件はみんな同じ。
先にあの子が登ったから先に頂上に到達したわけじゃない。
遅くに登り始めたから、最後にゴールしたわけじゃない。
言い訳はできない。
だけど、登りきったことにより思いが湧き上がります
僕にもできる。私にもできる。
これは始まりが一緒であるからこそ、
言い訳できない状況だからこそ、
この思いになるのです。
その中で一人ひとりの能力の差により到達の速度は変わりますが、この能力差による到達にはそれほど問題はなく、問題は同じクラスなのに始まりが違うことの方が重要です。
私には無理、僕にはまだ早い。
そんなイメージを持たせてしまうのがスタート時期が、同じクラスなのにバラバラということです。
それをしないように保育園では全員の発達具合を見て課題を取り組みを始めます。
この一斉の取り組みに意味があるわけです。
ですから、この一斉の取り組みを自分だけ先にとか、我が家だけ先にという形では課題の意味が全くなくなってしまいます。
折角取り組む課題であり、それが家庭で取り組む課題ではなく、集団の中で取り組む課題である以上は、集団を意識した対応を親としても行っていきたいところですね。
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